父の日ってわりと難しい
皆さんお久しぶりです。
随分長いことブログを書いていませんでしたが、私は元気です。
書くことが無くて試行錯誤もしましたが、ネタを作るということが苦手だということが良く分かりました。
行った気分になろうとご当地メニューを作るという企画も1回きりで挫折・・・。
農産物直売所巡りをするという企画も、結局いつも行っているところにばかり行っていてまるで先に進まない。
もうコロナを恨む以外にやれることが無いという状況でした。
今回久しぶりにブログを書こうと思ったのは、「父の日のプレゼント」にえらく悩んだので書いてみたくなりました。
父の日って何気にプレゼントするものに悩むんですよね。
母親とは何となく考えていることとか、きっとこれ欲しいだろうなっていうものがわかるのですが、父親ってホントわからない。
何度か欲しい物はないか聞いてみたこともあるのですが「別に今欲しいものはないなー」で終わってしまったという・・・、収集している物でもあればいいんですけど。
そして今までにプレゼントした数々のもの、ネクタイとかポロシャツとかトレーニングウエアとか、その時は満面の笑みで「いいじゃん!最高!ちょうどいい!」とすごく喜んでくれるのですが、「大切に使うからね」と仕舞い込んでしまって使っている様子がない。
母に頼んで使わせるようにもしてみたのですが、その時だけでまた古いものばかり使っているようでした。
そんなわけで今回用意したのは、夕食とケーキ。
これなら仕舞い込むことも出来ませんし、「夕食を作らなくて済んでラッキー」と喜ぶ上機嫌の母と楽しい食卓になるだろうという作戦。
何となく食べるものって「プレゼント」っていう感じがしないような気がしていたんですけど、楽しい時間になればそれでいいかなと思うことにしました。
一緒に食べに行けたら一番いいんですけど、今の時期なのでテイクアウトのものを届けることにしました。
最近は定番の和食ばかり作っているという話だったので、夕食の時間に合わせてイタリアンのお店からテイクアウト。
ケーキは父の日のために作ったというウイスキーの山崎を使ったチョコレートケーキ。
父の好みで知っていると言えば、生野菜を馬並みに食べるということと甘いものが好きというくらい。
厄介なのは、食べ慣れないものを好まないということ。
中華街で中華料理を食べに行っているのに醤油ラーメンを注文、ピータンやクラゲの和え物、スーラータンを頼んでいる私に「面白い物食べるね」と変わり者を見るような目で言います。
私からしたら沢山の美味しそうなメニューからよくぞ醤油ラーメンを見つけたね、という感じですけど。
なので、イタリアンに決めたのはいいのですけど、父があまり食べる気がしなかったということになってはいけないので、もはや日本人の定番であろうと思うマルゲリータのピザとボロネーゼのパスタ、鶏のグリルというメニューにしました。
喜んで美味しく食べてくれるといいんですけど。
では、これから受け取りに行きつつ届けてまいります。
濃い1年を過ごしたって気付いた
昨年の大みそかに1年の振り返りとして、コロナで諦めた恒例行事についてまとめた記事を書きました。
季節ごとにいろいろな恒例行事をしていたんだな、と振り返ることができたのと同時に当たり前にやっていたことがどれだけ幸せな事だったか、と思うことができました。
今回のお題を見て、「もう書いちゃったよ」と思って不参加と決めていたのですが、「こんなにもたくさんの事が出来なかった!」という思いで書いたので、後ろ向きな記事でもあったと思います。
なので、今回は前向きな「こんなことができたよ」という記事を書いてみたいと思います。
私は温泉の感想や旅先で見つけた美味しいものの記録のためにこのブログを始めました。
今までは温泉はともかく、旅先として考えるのは県外が主でした。
コロナで緊急事態宣言が出て、職場でも様々な予防対策が取られるようになったために県外に出るということが難しくなりました。
県内であっても、流行している市町村へは行ってほしくないという上司の話などもあって、かなり窮屈な思いがして精神面がやられてしまうんじゃないかと思ったりもしました。
しかし、行ける範囲で楽しもうと検索するうちに、自分の一番身近な地域のことを全て知って体験しているわけじゃないということに気付きました。
県外の温泉に行っている場合じゃない、県内の温泉で入っていないところがものすごくあるじゃないか、松本市の中で行っていないところもお店もいっぱいあるじゃないか、って。
身近な場所で新しい発見や美味しい発見がたくさんできる、ということに気付くことができました。
大晦日から三ヶ日を夫婦ふたりきりで過ごすのも初めて、自分たちの好きなものばかりを用意して、好きなように過ごしました。
それぞれの家庭が持つリズムというか優先順位みたいなものがあるから、集まって過ごすのは楽しいけど少しずつ譲り合っていかないといけない部分もあります。
だけどふたりだけだから、本当に無礼講。
もう、何にも気を使わずにのんびりゆっくりダラダラ過ごして大丈夫。
皆で過ごせない寂しさもあったけど、楽な部分も多くて想像していたより楽しかった。
私たち夫婦には子供がいないから、両親がいなくなってからのふたりだけのお正月っていうのが本当は少しだけ怖かった。
ふたりだけ・・・妹夫婦は子供もいるし、一緒にってお願いして負担みたいにはなりたくないからきっとふたりだけ、寂しくてつまらなくて世界から取り残されたみたいに過ごす。って想像してました。
けど、今回のお正月をふたりだけで過ごしてみて楽しかった、そのことが大収穫。
心配なんていらないじゃん!って気付けました。
私たち夫婦はおかれた状況の中で意外と楽しく生きていけるんじゃないか、って思えたことは今後の不安が少し軽くなったように思います。
夫の定年まではまだまだありますが、仕事に行かなくなって時間が有り余るようになったらやりたいこと、収入面も含めて楽しく過ごせるような計画を話したりするのも自宅で過ごす時間が増えたからかな?と思います。
家の中で過ごす時間が増えて腹の立つこともお互いに増えたと思いますが、うまく対応する忍耐力も養ってきているので大丈夫でしょう。
コロナの自粛で行動範囲が狭くなったこの1年、何もせずに過ごしたように思っていた時もありましたが、残念なことも良かったことも多かったという濃い1年でした。
買ってもらってすぐに壊した・・・らしい
今週のお題「雛祭り」
結婚してからはお雛様を出してお祭りするということをしなくなってしまいました。
子供のためのお祭りですから、当然と言えばそうなのかも。
実家にいるときは「早く出して早くしまわないと行き遅れる」と言いながら家族総出で飾り付けをしたものです。
最近はコンパクトで簡単に出せるものが多いと思いますが、昔だし田舎だしということで7段飾りの大きなものだったので、出すのもしまうのもとても大変でした。
お雛様の前で近所のお友達と食事会をしている写真が残っているのですが、子供の私はいつもマスクをして真っ赤な顔で写っていました。
妹と友達の食事会にちょこっと顔を出したという様子で、私は写真だけ参加しているという感じが満載。
どうやら雛祭りの頃にいつも風邪をひいていたらしく、私がどれだけ風邪をひきやすかったかという話を母親が語りだし、乳幼児の頃は週末や夜中など病院がやっていない時に限って高熱を出して大変だったと聞かされながらの作業となります。
おかげ様で、今ではほとんど風邪をひかない丈夫な体となりました。
飾り付けの終盤になると、裁縫道具とかタンスとかという道具を並べる段階になるのですが、牛車の人が乗る部分と牛をつないでいる部分(語彙・・・)が折れていて、明らかに素人が直しました、という感じになっているのです。
私が牛車を見て乗り物だと教えられた時に「乗りたい!乗りたい!」と騒ぎ、人形の乗り物だから人間は乗れないと止めたのに隙を見て乗ってしまったらしく、初めて出した瞬間に壊したと毎回言われました。
確かに、道具類はこれを使っておままごとをしたいと思わせる魅力がありますから、牛車も乗りたいと思っても仕方ないかも・・・。
かわいい思い出としてもらいたいところです。
現在も実家にお雛様がありますが、今では出されることもないまま保管されているので今後お雛様をどうするか考えないといけないな、とこのお題をみて思いました。